ミキちゃん
「ミキちゃん、ミキちゃん」
呼ばれたような気がして目が覚めた。
「はい、なぁに?」
誰もいない。あの声は聞き覚えのある義姉の声だったような気がした。しばらくぼうっとして夢と現の間にいた。
私はどんどんと、遥か彼方へとひっぱられて行った。
義姉妹になった時は、まだ二十代だった。初めて「ちゃん」を付けて呼ばれたとき、気持ちが高揚したことがついさっきのように鮮明に思い浮かぶ。そして、何とも言えない良い気持ちになった。可愛い子供っこのように浮かれた。
「ミギ!」
物心ついたときから私はこう呼ばれていた。父母、兄妹、村の人、誰も濁音で私を呼んだ。「ギ」という濁音が嫌いだった。テンションが下がっていくような気がして、こんな名前は嫌だよと思った。
近く嫁いできた若い嫁さんは、丁寧にも
「ミギ子さん、今帰ってきたが」
と、学校帰りに会うたび、私を「子」をつけ、「さん」をつけて呼んでくれた。嬉しくてその嫁さんを大好きになってしまった。ただそれだけだというのに。
小中学校では百十数名の同級生がいたが、そのころ「子」のついていない女子は数少なかった。年齢が上がっていくに従い、「子」のついた人が珍しくなった。ちょうど名前の流行の狭間だったらしい。私は「子」のついた子たちがうらやましかった。何故か、とても偉く見えたりした。
片仮名も、「子」も、今の時代の命名にはほとんど無用になっている。名簿は男女の区別なく「あいうえお」順になったとか。
「なんとお呼びすればいいですか?」そう聞かなければ読めない名前が多すぎる。男の子か女の子の区別すらできなくなった。
私といえば、時々「キミさん」と呼ばれる。キミさんが多くいるのか、初めての場とかではしょっちゅう間違われる。単純な名前なのに間違える人の気が知れない。
可愛がっていただいた義理の兄や姉たちはすでに他界した。小姑という意識は全くしない、よくできた方々だった。小さな財布に見合うものしか出せなかったが、私の作った料理を「うまい、うまい」と気持ちよく食べてくれた。気持ちが溶け合い、大きな安心感を味わうひと時だった。
食べている合間にも、よく「ミキちゃん」と呼ばれる。そのたびごと、私は嬉しくて気持ちが豊かになっていくのだった。そして自分の名前が好きになった。
義姉たちはコーンに盛ったアイスを、道路や祭りなどで売り出した最初の人だった。のちに誰言うともなく「ババヘラ」として有名になったが、苦労を重ねて重ねて販路を広げた、実行力に優れた方だった。時折、許可をもらいに役所について行ったこともあって、行動することのすばらしさを教えていただいた。
昨夜、私に何を言いたかったんだろう?まだ耳朶の辺りに義姉の声が聞こえる。きっと、「大丈夫だよ」と、ミキちゃんと呼ばれて私が嬉しがっていたことを覚えていて、私を励ましてくれたのだ。
そうに違いない。
可愛がっていただいた「ミキちゃん」。
今は誰もそう呼んでくれないので、これを機会に私は自分で呼ぶことにした。
「ミキちゃん、出かけるよ」
「ミキちゃん、忘れたものない?全部買い物したかな」
「ミキちゃん、ぼやっとしないでしっかり運転頼んだよ」
など、自分に気合を入れることのなんと多くなったことか。その頭に必ず、自分を呼び出し、意識を高める。運転しながら大きな声で「ミキちゃん、今日もしっかり頑張ろうな。ハイ、頑張りますとも」
他人が聞いたら呆れるだろうが、ここは私一人の居場所、何のためらいもなく大きな声で自分を鼓舞する。
ナビゲーションが「どこへ行きますか?」と聞いてくる。「ううん、私の頭の中に入っているところだからあなたは黙っていてね」と独り言を言いながらラジオに切り替える。近場だもの、ナビさんのお出ましはいらない。
いつかナビさんのお世話になりながら、遠くへ行ってみたい。大きく夢を膨らませていると、必ず実行できるような気がして春になるのが待ち遠しくなる。
ミキちゃん、ミキちゃぁん。
若返った気持ちでいると「ばば、ばば、あのね」娘に呼ばれた。
私の呼び名は「ばば」。「ばば」と呼ばれて二十数年にもなった。